アウトプットはなぜ必要か?行動派と精神論の頂上で肩を組む

こんにちは、ひでゆきです。

 

「行動派」か「精神論」
どちらを採用すべきなのか。

最近いろんな人と話をさせて頂く中で
大きく分けるとこの2パターンに人は分かれるのかなと感じています。

 

話を聞く中でよくあるのは

・行動よりもまずは人間として成長しないと!
もしくは、
・いくら精神論語っても動かなきゃ意味ないでしょ!

という対立かなと。

 

で、これに関して僕は、
どっちも大事だけどどっちの優先順位が正しいのだろう?

ずっとそう感じていました。

 

僕自身、
野球をしていた時は技術や練習量にこだわり
結果として頑張った割に結果が比例しなかったなと感じる一方で、

自己啓発や精神世界の勉強をすると
「確かに人として成長したけど、あの時の方が動いてたなぁ」
と感じることもよくあります。

 

行動派の人は
僕らは現実の世界に生きているのだから
行動しないと何も変わらないではないか!

という考え方で、

 

それに対し精神派の人は、

世の中は波動が大事!
周波数を揃えるんだ!
その周波数と同じものが引き寄せられてくるから夢は叶うんだ!

という考え方を持っています。

 

ただ共通して持っている価値観は

油と水は混じり合わないんだ!というように

「自分が正しい!自分が絶対!相手は間違っている!」

という価値観なのかなと。

 

実際どちらの考え方でも
結果を出したり経済的に豊かになったり
精神的に幸せな人はたくさんいます。

 

行動し続けたことで
いろんな体験、経験を気づきに変えて
結果として現実も人間性も豊かな人はたくさんいます。

その一歩で
人間的に成熟したからこそ
いろんなアイデアを自然と思いつき余裕を持って行動することで
精神的にも経済的にも豊かになっている人も沢山います。

 

つまり、

「スタートが違うだけで最終的には混じり合う」

のです。

 

行動し続けるためには
自分の至らぬ点、認めたくない点と向き合うことも出てきます。

いわゆる自分の欠点を克服することで
自然と人間性も鍛えられます。

 

精神論学ぶほどに人間性が向上すると
行動する意欲も湧いてきて
自然と行動力も鍛えられます。

 

つまり、

どっちから始めても行き着く先は同じ

なのです。

 

これは例えば、
山手線の外回り内回りみたいなもので

同じ駅から同時に出発しても
最終的にはぐるっと回って同じ場所に帰って来ます。

 

その一周する中に
・外回りから見える景色
・内回りから見える景色
それぞれ違う景色が見える、ただそれだけなのです。

俺の車両からの景色が正しい!
いいや!こっちの景色が正しい!

みたいなことをやり合っても無意味かなと。。。

 

そうではなく、

どちらの景色も素晴らしい。
お互いに写真撮って見せっ合いこしようよ!

それでいいのかなと。

 

 

最終目的地はどちらも同じ。
ゴールの景色はどちらも同じ景色です。

 

だからこそ

お互いの良いところを取り入れて
ゴールまでの道中を一緒に楽しむ。

 

行動派の良いところは
具体的に現実を進められるという点です。

それは
コンテンツを作ることであったり
人と会うことだったり
食事をしたりダイエットをしたり

自分の外側に影響を与えるということです。

 

反対に、精神派の良いところは

学ぶことで視座を高めたり
過去を振り返ることで気づきを得たり
志や目標を掲げたり

つまりは、自分の内側に影響を与えるということです。
「内省」ですね。

内側を省(かえり)みれるのです。

 

まとめると、

行動して自分の外側に影響を与えるのか
内省して自分の内側に影響を与えるのか

という方向性の違いなだけなんですね。

 

なので

自分の外側と内側、
両方に良い影響を与えれば良いのではないか?

そう思うのです。

 

そんなこと言ってもどうするのさ?
と思われるかもしれません。

 

だからこそ、その時に大切なのが

「アウトプットをする」

ということです。

 

アウトプットというのは
「取り入れたものを外に出す」
ということです。

学びを人に教えたり
経験をみんなにシェアしたり。

他には、
算数の公式を学んで実際に問題を解いてみたり
コーチの教えを練習で試してみるなどがそうです。

 

つまり、

アウトプットすること自体に
「行動」と「内省」
両方の良いところが混ざり合っているのです。

 

行動したり勉強したり
人は何かに挑戦すると

必ず何かしらの意見や感想、気づきがあります。

「これもっとこうしたら良かった・・・」とか、
「これってこういうことだったのか!」とか。

 

この時何が起こってるのかというと、

その人の感覚が一時的に高まっているのです。

 

感覚が高まるというのは
・今まで気づかなかったことに気付けたり
・いつもと違うアイデアが思いついたり
今までの自分ではないような感じになる事です。

 

つまり、

良くも悪くも地に足がついていない

という事です。

 

過去の自分より
今の自分の方がふわふわしているのです。

 

ただ、僕らが今生きているのは
地に足つけた現実の世界です。

感覚が高まりふわふわしているという事は
ある意味現実から離れているということになります。

 

するとどうなるかというと

「現実とかどうでもいいや〜」

とどこかで思ってしまうのです。

 

精神論派の人が道を外れるときはまさにこのような時で
感覚が高まったことに安心して現実への興味がなくなるということです。

 

逆に行動派の人は
動くことで感覚が高まったとしても
感覚が高まったことに気づかないんですね。

あるいは感覚にそもそも興味がないので
変わったことに気づかずにスルーしてしまいます。

なのでいつまでたっても同じことを繰り返してしまう。

 

 

精神論だけに執着すると
現実に興味がなくなり自分の世界にこもってしまう。
逆に、行動だけに執着すると同じことばかり繰り返してしまう。

 

だからこそ

「アウトプットが大切」

なのです。

 

学んで気づいて行動を変える。
行動して気づいて自分を振り返る。

歩く時の右足と左足のように
交互に繰り返していくから

今の場所からどんどん前に進んでいけるのです。

 

 

僕らは結局のところ
最終的には「幸せな人生を送りたい」
という思いがあると思うんですね。

行動して幸せになる。
内省して幸せを感じる。

どちらも目的は同じのはずです。

 

だからこそ

行動するのも
内省するのも

あくまで手段であって
目的は幸せになることだと思うのです。

 

なので、

「行動しないと意味がないじゃん!精神論なんて馬鹿げてる!」

の人も、

「まず自分を高めないと行動しても意味がないでしょ!」

の人も、

 

みんな最終的には幸せでありたいはず。

 

幸せの定義は人それぞれだと思いますが、

共通して「執着から解放された状態」ではあるはずです。

 

執着からの解放とは

・お金や仕事、人間関係などの現実的な執着を手放すこと
・過去のトラウマ、未来への不安、チャレンジへの恐怖などの精神的な執着を手放すこと

これらが少しでもできれば
自然と幸せは感じられます。

 

だからこそ

「アウトプット」をすることで

行動と内省を組み合わせることができて

 

その過程で気づいたことや改善したことのおかげで

どんどん幸せな自分へと変われるのかと。

 

さらに言えば、

人は人生が調子よく進んでる時ほど
爽快感という幸せな気持ち良さを感じます。

効率よくスムーズに進んでる時です。

 

やることなすこと全てがうまくいって
「思い通りに進んでいるな〜」
という時です。

 

右足と左足がスムーズに動くから
自然と足取りが軽くなって気持ちいいように

「行動」と「内省」をいかにスムーズに行えるかで

幸せの度合いは変わってきます。

 

少なくとも高速道路で渋滞してる時のような
「停滞」してる時は不快な状態がほとんど。

止まってしまうと幸せからはどんどん遠くなっていきます。

 

なので、まとめますと、

自分の価値観も大切にしながら

お互いの良いところを取り入れていくことがそもそも大切。

 

「行動」と「内省」はあくまで手段でどちらが良いとかないのです。

 

どちらの良いとこも取り入れるために

「アウトプット」することで

人生の歯車はスムーズに動き始めてよりより幸せを感じられます。

 

結論「行動派」と「精神派」

どちらも素晴らしいのです。

 

お互いの良さを活かし合うために

アウトプットが大切という話でした。

 

今日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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