あと一歩のところで進める人と戻る人の違い。さみしさと親子関係について。

こんにちは、ひでゆきです。

 

最近、
自分の中のさみしさと向き合えるようになってきました。

いきなりなんだ?って感じだとは思いますが、
この「さみしさ」という執着をやっと手放せています。

 

さみしさって、文字通り
「1人になるとさみしい」
「誰かと一緒じゃないと不安で仕方ない」
みたいなそんな感情のことです。

これって小さいころ親に愛されなかったと感じる人が持っている感情で
自分はずっとそんな感じでした。

 

自分の本音を親に伝えた時、
自分が遊んで欲しいときに遊んでもらえなかったとき、
長男の自分より弟たちの方が親と親しくしてるのを見たとき、

そんなときに、
「自分は親に愛されていない。。」
「ひとりぼっちなんだ」
と、さみしさを強く感じるようになります。

 

子供にとって親は全てです。

生まれたてのヒナが最初に見たものを親と認識するように、
子供にとって親は絶対的な存在で、
ある意味世界の全てです。

なぜなら親以外の人や価値観を知らないからです。

 

だからこそ
親に対して自分は受け入れてもらえなかった、
自分と親が分離している感覚があればあるほど

大人になっても
そのさみしさはずっと残ります。

 

もちろん、
歳を重ねるにつれて
いろんな事を経験していくので

さみしかった記憶や感情は普段は表に出てきません。

 

ただ、
結果を出して頭一つ抜きん出るとき、
自立して独立しようとするとき、
自分1人で大きな決断をするとき、

そんなときに「さみしさ」はひょっこり顔を覗かせます。

 

そして、無意識に、
「みんなと一緒じゃないと不安だな」
と思い、

ただそれを意識上で言語化できないので

「今はまだタイミングじゃない」
「現実的に考えよう」
「調子に乗りすぎてはだめだ」

などの言葉で正当化します。

 

それでも必死に感情に抗って無理やり進もうとすると
・風邪を引いたり
・怪我をしたり
・周りに進めない出来事を引き寄せたりして

うまくいかないようになっていきます。

 

僕自身が本当にそうで、

野球で結果が出そうになったときに
やたらと風邪をひいたり、、、

このままいけばビジネスもうまくいくというタイミングで
急にやる気が喪失したり、、、

 

全ては
意識と感情のベクトル(方向)が揃ってないから
うまく進めず。。。

そして、
「結果を出すのって大変だな・・」
とずっと感じていました。

アクセルとブレーキを同時にかけてるような感じです。

 

それをずっと昔から感じていて
どうにかして意識と感情を揃えられないかな・・

と試行錯誤を続けていました。

 

意識で「結果を出したい!自立したい!」
に対して、

感情も「結果を出したい!自立したい!」

ってしたかったんです。

 

そしてそれがやっと
やっと変われたー!と
感情を切り替えることができました。

正確には引き戻し現象もあるのですが、
また戻ったとしても逆にすぐ戻せるだろうという感覚です。

 

さみしさってなくならないんです。

でも手放すことはできる。

 

例えば僕はお酒は全く飲まないのですが、
それは飲めないからではなく
お酒を飲んでも飲まなくてもどっちでも良い

という感覚です。

 

なので、
目の前にもしお酒があったとしても
全くきになりません。

 

この感じです。

 

もし仮に1人だけになったとしても
さみしい感情はあるかもしれないけど全く気にならない。

子供の頃をイメージしてみても
親に本音を受け入れてもらえなかったけど
別に全く気になっていない。

親は親で俺は俺だし。別にいいや。

そんな感覚です。

 

僕はずっと
さみしさを克服するんだ!
親と仲良くなるんだ!
とずっと思ってやってきたのですが、

それ自体が
親へ執着してるだけなんだと気づきました。

 

親も1人の人間ですし
親が全てが全て完璧ではないわけです。

特に僕は長男なので
親も当時は試行錯誤しながらで
その緊張感が自分にも伝わってたのかななんて感じます。

ただ、
親が今の自分の年齢の時には僕はすでに生まれていたので
それを考えると「親ってすごいんだ」なんて感じます。

仕事しながら
家事をしながら

20代半ばの頃の会社員だと
働け働け働け!!!みたいな状態だったと思うので

その中で子育てしてたのか・・・

なんて今になって思います。

 

普通にすごいです。

休日も休みたいなか遊んでもらっていたわけですし、

当時はわからなかったけど
今になって想像すると
相手にするのも大変だよなぁなんて思ったり。

 

なので、
子供の頃の自分にとっては
目の前の親が全てでしたが、

今になって親の当時の立場になって思うと
何も言葉が出てこないです。

 

なので、
さみしいと感じても
それはそうだよねって感じます。

 

それに気づけた時に
親に執着する必要はないんだな。
親の機嫌を取る必要も、
親の決断がこどもの全てでもないんだな。

と、
さみしさを手放すことができました。

 

親に相手をしてもらえなかったとしても
どんな状況でも帰ってくる場所があった。

それだけで十分愛されていたんだなと感じます。

 

当たり前には気づけないと言いますが、
帰る場所がある。。。
帰る場所を作ってもらえていた。。。

それがわかった時に

あぁ。。十分に愛されてた。

 

ひとりぼっちじゃない。

ぱっと見は1人だとしても
心の中では繋がっているんだ。

 

そう思えるようになって

さみしさを手放すことができました。

 

今日はこんな話です。

自立、独立、独り立ち。

 

1人の大人として歩くと決めるために
自分は1人じゃないと気づくことが大切という話でした。

さみしさを目の前に感じても
ただ目の前に感じてるだけで
それにとらわれなくて良いのです。

 

PS。今日の気づき

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心がかなり軽くなりました
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ではでは。
今日もありがとうございました。

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