ダイヤのAから学ぶ、完璧主義をやめて最善主義を採用する事が成長を加速させる秘訣

こんにちは、ひでゆきです。

 

連続投稿も50日目を迎えました。
いつも有難う御座います。

 

昨日、
「理想の基準を一気に引き上げる」
と言うことについて書かせて頂きました。

 

それはなぜかと言うと、
人は基準に戻ろうとする力(ホメオスタシス)があるからです。

例えば、
体温が常に平熱に戻ろうとするように、
お腹が空いたら食べたくなり、満腹の時は食べたくなくなるように、

人はある一定の基準に無意識に戻る行動をとります。

 

なので、
一気に基準をあげるとうことは、
気づいたら自然とその基準に戻ろうとする力が働くという事になります。

自分の基準を叶えたい夢に設定すれば
いつか自然とその夢は叶うのです。

 

つまり、

努力や才能とは別の
「自分で自分を応援する力」
が自然と発生します。

 

この力は、よく漫画などで応用されていて、特に、
「弱小中学校の野球部員が、全国区の高校に進学したらいつの間にか上手くなってる現象」
などがそれにあたます。

例えば、僕の好きな漫画のダイヤのエースと言う野球漫画はその典型です。

 

簡単にあらすじを説明しますと、

ダイヤのエースの主人公である「沢村栄純」はもともと田舎の中学校出身でした。
彼の中学校の野球部は中学制覇を目標に掲げるものの
結果は県予選の1回戦で敗退。

しかしその試合をたまたま見ていた
全国区の野球強豪校である「青道高校」のスカウトが
彼の天性の素質を見抜き、沢村栄純をスポーツ推薦枠で招待します。

 

その結果彼は青道高校に進学するのですが
その野球部にはいわゆる「バケモノ」クラスの選手がたくさん所属しています。

もちろん沢村には天性の才能があったものの、
同じくらいの才能を持つ選手はゴロゴロいた上に、実力は彼らには全く及びません。

 

さらに追い討ちをかけるように
同じ1年生で入部した「降谷暁」という
1年生ながらに150キロの豪速球を投げる選手に出会います。

素質だけではなく
実力でも完全に負けていると自覚した沢村は
「入学した瞬間に3年間補欠で終わるかも、、、」と
絶望を感じますが、

 

持ち前の元気と体力と根性でなんとかして野球部の練習についていきます。

すると、最初は全く練習にすらついていけなかった沢村も
必死に努力をして自分を成長させ少しずつついていけるようになり、

結果として、
1年生ながら公式戦に出場するまでに成長していきます。

 

と、ざっくりと序盤のあらすじを書かせて頂きました。

 

何を伝えたいのかと言いますと、

「人はその環境に適応しようとすれば必ずどこかで適応出来るようになる」

と言うことです。

 

そこに上手い下手は関係なく、
道中出来ないことが多々あったとしても

気持ちさえ切らなければ
最終的にその環境に適応できるようになるのです。

 

この時、
主人公の沢村栄純は、高校への進学を機に

一気に野球に対する基準値をあげました。

 

なので当然、最初はその基準値の高さに全くついていけません。

全く練習についていけず、
チームメイトからは「野球部やめた方が良いよ」とい言われたりもしました。

でも彼は「いつか必ず俺にはできる」と自分を信じて一心不乱に適応しようとし続けたのです。

 

「そうは言ってもそんなの漫画だから最終的に上手くいけたんでしょ」

と思うかもしれません。

 

確かに漫画だからなんとかなった部分もあると思います。

 

しかし、

大事なのは「そこから学べることは何か?」

と考えることです。

 

漫画は漫画かもしれませんが

「今の自分より高い基準の環境に入った時にどうやって適応していくか?」

をこの話を通じて自分の学びに変えられるかなと思うのです。

 

自分の目指す夢に対して、もし、

才能、学歴、人脈、スキル、時間、お金などが足りていなかったとしたら。

それでもどうしても叶えたい夢が自分にあるとしたら、

 

なんとかしてそれを叶えたいと決めたなら、

 

今回のダイヤのエースの話はすごく参考になるのではないかと思うのです。

 

 

僕は主人公の沢村が
今の自分よりはるかに高い基準値の練習についていけたのは、

「完璧主義ではなく最善主義を採用していたから」

と言うのが一番大きな要因だと感じています。

 

 

完璧主義とは、
「全部を完璧にやろうとすること」
つまり、

「常に100点でなければ許せない人」
のことです。

 

完璧主義の人は、
常に結果のみに焦点を当てていて、
何事も減点方式で物事を捉えます。

彼らを動かす原動力と言うのは、
「絶対失敗したくない。間違えたくない。」
という、

点数を失いたくないと言う恐怖から生まれるエネルギーを用いて
自分を動かしていきます。

つまり、

完璧主義の人は、
100点以上を求めておらず、
上限が100点までで

今の自分以上には成長したくても出来ない性質があります。

 

もし今の自分以上(100点以上)を求めてしまえば
今の自分には出来ないことに挑戦する必要が出てきて
それが自分にとっての減点の対象になるからです。

減点対象になる、今の自分に出来ないことに挑戦することは
彼らにとっては存在意義に反することになるので
今の自分以上の事はそもそもやろうとしないのです。

 

 

逆に、最善主義とは、
「今できることを精一杯やること」
です。

 

つまり、
結果に焦点を当てるのではなく
自分の行動やプロセスに焦点を当てることができる人です。

自分の行動に焦点を当てるからこそ
結果は二の次に考えます。

結果を二の次に考えるからこそ
自分が出来ないことに挑戦することも
彼らは躊躇なくやれるのです。

 

最善主義の人にあるのは
「やったかやっていないか」
で、

だからこそ、
自分の行動や結果に上限を設定していません。
やればやった分だけ自分の成長に繋がっていることを知っているので

100点、200点、300点と
上限なく成長していくことができるのです。

 

なので、最善主義の人のエネルギー源は
「想像と創造」です。

常に何かを産み出すことを存在意義に感じているので
仮に上手く出来なかったとしても
それは次に活かすために活用することができます。

 

「失敗+失敗+失敗+失敗+・・・=成功」

を知っているのです。

 

完璧主義の減点法に比べて
最善主義は加点法。

完璧主義は結果だけに執着して自分で制限をかけてることに対して
最善主義は行動に焦点を当てて自分の制限を積極的に手放しています。

 

話を戻すと、

高校入学当初の沢村栄純は
「完璧主義ではなく最善主義を採用していた」
からこそ、

厳しい練習についていけなくても
その場で結果を出せなくても

最終的に練習についていけて
最終的に結果を出せるように

全ての経験を成長に繋げるように日々を積み重ねていました。

 

だからこそ
当初野球部のお荷物と言われながらも
最終的には1年生ながらにして公式戦に出場させてもらえたりと

周りが驚くほどの勢いで成長することができたのです。

 

そうやって考えてみると、

自分の基準はどんなに高くても良くて、
そこに躊躇する必要はないかなと感じます。

 

ただ、
完璧主義を採用した上での
基準値の引き上げは

自分で自分を苦しめることになるのでやめた方が良いかと。

 

基準値を上げれば上げるほど
今の自分にはまだできないことが山のように出てきます。

 

しかし最善主義を採用しつつ、
その引き上げた基準にどう適応していけるかを
毎日考え行動し積み重ねていくことが

自分の夢を叶えるための
具体的な初期条件になるのかなとダイヤのエースを通じて学ばせて頂きました。

 

自分の出来ることだけをやるのもそれはそれで楽しいのですが、
自分が今より成長しようとしたら当然できないことがたくさん出てくるので、

その出来ないことを楽しめるようになればなるほど
自分の夢が叶いやすくなるのかなと感じます。

 

そんな感じでまとめると、

・人は設定した基準に戻ろうとする性質がある(ホメオスタシス)
・基準が上がると出来ないことも増える
・なので最善主義を採用して失敗を学びに変える
・日々積み重ねることが出来るようになり上限なく成長できる
・時間とともにその基準に見合う自分に成長できる
・基準に適応できる(夢が叶う)

 

以上です。

どんどん基準をあげて
どんどん行動のハードルを下げていきましょう。

 

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

PS.

今日の気づき

==========
完璧主義より最善主義
==========

 

ではでは。
今日もありがとうございました。

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