こんばんはひでゆきです。
いつもご覧頂きありがとうございます。
おかげさまで連続更新も32日目を迎えることができました。
ここ最近特に感じていることがありまして、それが、
「厳しさは愛の裏返し」
ということです。
厳しい言葉とは、例えば、
「やる事やってから遊びなさい」
「遊んでないで勉強しなさい!」
「自分で決めた事なんだからちゃんとやりなさい」
とかとか。
僕は親父がかなり厳しかったので、
上に書いた3つの言葉は口すっぱく毎日のように言われてきた記憶があります。
当時の自分はなぜそれを親父が言ってくれるのかを全く考えていなかったので、
「うるさいなーほっといてよ」
「はいはい。後でやりますよ」
みたいな感じでその言葉を右から左に流していました。
やっぱり厳しい言葉って言われた本人には結構きついですよね。
言われたことは正しくて、図星に感じることが多いですし。
子供の頃の自分は今思うとかなりひどかったですね。
親父怖い・・・って思ってましたし、
もっと優しい父親がよかったなってなんども思ったこともありました。
ただ、今思うと、
その言葉の裏には今の自分のままだと将来苦労するって分かってたから、
あえて子供のうちから厳しくして頂いてたんだなと。
基本的に僕は依存体質でしたし、
何よりも感情のままに生きてきました。
だからこそ、
既に社会を経験している父から見たら
「このまま大人になったらまずい」
という思いがあったのかなと。
僕は、厳しい言葉をそのまま受け取ってしまっていて、
「なぜその厳しいことを言われているのか?」
については考えていませんでした。
だから成長できなかった。
言葉も右から左へスルー。。。
ただ、こうして社会に出て、自分で手に職を持ち、
自分でブログを書くと決めて継続していくうちに、
厳しさの言葉の裏には、
「もっと成長してほしい」
という意味があるのだなと感じてきました。
「そこにちゃんと向き合いなさい」
「向き合うときは痛みを伴うけど、必ず乗り越えられるから大丈夫」
「向き合って乗り越えたたら素晴らしい未来が待っているよ」
という成長してほしい思いがあるんだとわかりました。
基本的に厳しい言葉を使うのは、
言う側もかなり体力気力を消費します。
なぜなら、
厳しい言葉を伝えると言うことは
色々リスクやデメリットもあるからです。
受け取る側の精神的な成熟度によっては少なからず反発を受けるし、
恨まれたり、嫌われたり、今まで築いてきたその人との人間関係も壊れるかもしれません。
ただでさえ相手のことを考えるのは
それだけで精神力を使いますし、
その上で厳しい言葉をかけると言う事は、
基本的に表面的には損することが多いです。
だからこそ、厳しい言葉を伝える背景には、
「この人には厳しい言葉を伝えても大丈夫。
きっと痛みと向き合って乗り越えてくれるはず。
痛みの先にある素晴らしい未来へも絶対いける!」
って相手を信頼できて初めて出てくる言葉なのかと。
つまり、
厳しい事を言うにはそれ相応の覚悟が必要だと言う事です。
親父はそれをわかった上で厳しくしてくれてたんだなと思うと
自分の不甲斐なさと感謝を感じます。
厳しさについてこんな話もありました。
それは、
僕の尊敬する元プロ野球監督の野村克也さんの話です。
(ID野球を日本の野球に取り入れた、現ヤンキースの田中将大投手を育てた方)
(お会いした事はないです。単純な憧れです。)
その野村監督の名言の一つに、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
三流は無視、二流は賞賛、一流は批難
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と言う言葉があります。
そして、その言葉の背景には、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
相手の成熟度に応じて接し方を変えていく。
二流や三流は器量が小さいし、成功体験も少ない。
そんな彼らに叱ったり非難をしても、彼らはそれを受け容れない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と言う意図があるそうです。
心の器が大きい人にしか厳しい言葉は伝わらないし
だからこそ厳しい言葉は相手を選んで使っていたそうです。
僕はこの話を初めて聞いた時に、
「親父が自分のことを厳しく叱ってくれていたのは、
ちゃんと自分を認めてくれていたからなんだな」
と感じることができました。
もちろん、そんなすぐに100%受け入れる事はできません。
子供の頃の記憶は感情とも結びついていて、
「厳しい言葉=叱られた=怒られた=怖い」
みたいな意味づけをしていたからです。
ただ、こうして毎日ブログを書き続けていて、
日々自分の考えを文字に起こしていく事で
自分の頭を整理できるようになってきました。
自分の頭を整理できるようになってきたおかげで、
ようやく本当の意味で、
「親父は自分のことを思ってあえて厳しく接してくれていたんだな」
と感じることができたのです。
親父は自分にとって、
社会の大先輩でもあるわけです。
当時子供の僕はまだ社会に出ていなくて、
親父がなぜそれを言っているのかを理解する事はできませんでした。
ただ、今なら子供の頃なぜあそこまで口すっぱく
「やることやってから遊べ!」
「遊ぶ前に勉強しなさい!」
「自分で決めた事なんだからちゃんとやりなさい!」
と厳しく接してくれてたのかがわかります。
「生きる事は自分で自分を教育する事」
「成長するために自分から痛みに向き合う事」
が大事なんだよと伝えたかったんだと感じます。
もっと本音は違うのかもですが、
ここ最近自分ではそう実感しています。
「厳しさは愛の裏返し」
痛みを伴ってでも、嫌われてでも、
成長するために自分と向き合ってほしい。
そんな事をここ最近感じたので
「最近周りが厳しくてな〜」
って方のためにシェアさせていただければと思います。
厳しいってある意味理不尽ですよね。
こちらの都合が通じない時がほとんどですし。
こっちの意見は通用しないし。
事情を汲み取ってくれないように感じたりもします。
でも、そんな事は全くありません。
厳しい方ほど、
目先の損得ではなく、
「どうしたら目の前の相手が長期的に成長できるか?」
を常に考えています。
痛みを伴うからこそ、
現状を認めることができて、
それが前に進む力になる事を知っているからです。
なので、
厳しい言葉は一見冷たく感じることも多いですが、
その言葉の裏には
「100%のあなたへの思いやりがある」
と言う事をほんの少しでも汲み取れば
巡り巡って自分の制限も外れて成長が加速するきっかけになりますので。
よければ「なぜそれを相手は言っているのか?」を
感じてみてはいかがでしょうか。
(とはいえ何でもかんでも厳しく接するのは違うので
まず最初は信頼関係を築くために相手の良いところを褒めるのが大切だと思います。
信頼関係があってこその厳しさですね。)
ではでは。
今日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
PS.
今日の気づき
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厳しさは愛の裏返し
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ではでは。
ありがとうございました。
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