自分が発する思いやり。受け取る相手にとっては重い槍。

こんにちは、ひでゆきです。

 

最近どんどん状況が厳しくなってきましたね。

家で自粛していないといけない。
その結果どんどん働けなくなる。
なので収入も下がっていく。
どんどん心は疲れていく。
不安が溜まっていき、
溜まったフラストレーションが周りの人や政府の人へと向かっていく。。。

 

最近思うのが、
安倍首相がどんどんやつれてきているなーと。

yahooニュースやTV、LINEニュースで写真を見るほどに、
日増しにげっそりしているなと感じます。

「安倍さんの代わりを今勤められる人はいるのだろうか?」

なんてことを思ったりします。

 

批判するのは簡単。
しかも大抵その批判は的を得ています。
的を得ているからこそ、
なんだかものすごく説得力がある。

ほんとそうだよな、と思う意見もたくさんあります。

みんなそれぞれ
守らなければならない自分の立場や家族、生活、
もちろんあります。

首相だって日本を守らなければならないと思っているはず。

みんなそれぞれ気持ちは同じ。
それが国なのか、コミュニティなのか、会社なのか、家族なのか、
それぞれの単位が違うだけ。

 

だからこそ、
自分の意見を主張するのは大切です。

ただその前に、
お互いの事情を思いやり
認めて褒めて応援しあい
力を合わせようとする意識を作る必要があると感じます。

みんなそれぞれ自分の意見がある。
それは全部正しい意見。
ということは相手にとっての相手の意見もそれは正しい意見。

 

同じ思いも見る人の視点によって
表現される言葉は全く違うものになります。

 

2人の人間がお互い向き合い
2人の間にはコップが置かれています。

Aさんの右手側にあるコップは
Bさんにとっては左手側にあります。

Aさんが「このコップは俺の右側にある。」
Bさんが「このコップは俺の左側にある。」

Aさん「コップは右側にある。俺の意見が正しい!」
Bさん「いーやコップは左側にあるじゃん!」

 

2人の人間が向き合った時、
間にある1つのコップを見ても
それぞれのコップを見る角度は全く違う角度です。

 

自分からの視点も正しい。
でも相手の立場に立ってみての視点も正しい。

Aさんにとっては右側にあるコップ。
Bさんにとっては左側にあるコップ。
どちらも同じ位置に置かれたコップ。
見てる視点が違うだけ。

 

互いの意見も同じ。

同じものを見つめてるのに、
見る角度によって真逆のものになる意見。

 

だからこそ
お互いの立場に立って相手が正しいをまず受け入れてみる。

Aさん「Bさんから見たら確かにコップは左側にあるよね。」
Bさん「Aさんから見たらコップがあるのは右側だ。」

「2人が見てるのは同じコップ。お互い意見は一緒だったのね。」

そうやって相手の立場にお互いが立って初めてコミュニケーションがスタートするのかなと思います。

 

皆なんとかしてこのコロナショックを乗り越えようと目的は1つのはずです。

だからこそ、
なぜ相手がその意見を言っているのかを
理解しようとするのがまず最初。

 

安倍さんは日本のために。
日本は安倍さんのために。

そうやってまず認めて褒めて応援すること。

みんなそれぞれ出来ることを全力でしている状況だからこそ
互いの全力を思いやれたらなと感じています。

 

あんまり人に対して色々言いたくないのですが
これが報道の仕方だけの問題なら良いのですが。。。

良くも悪くも日本全体への責任をとっているのは安倍首相。
その安倍首相が元気になることが国が良くなる1歩目と感じたので書きました。

「安倍首相対日本全体」の構図ではなく、
みんなが輪になってみんなの顔を落ち着いて見れたらいいなと思います。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

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