こんにちは、ひでゆきです。
流れに身を任せるのは
受け身で消極的なのでしょうか?
僕はずっと
「運命や自分の道は自分で切り開くものだ」
と思っていきてきました。
それが正しいと思っていたし
苦しみを乗り越えた先に
明るい未来があるとばかり思っていました。
修行して辛さを乗り越えて先に光がある。
スポ根マンガ育ちの自分にとって
それは当たり前だと思っていました。
ただ、わかったんです。
それは本当に強い人しか取れない戦法なんだなと。
なぜなら、
苦しみの先に明るい未来があるということは
まず苦しまなきゃいけないんですよ。
何をするにもまず苦しむことが最初。
誰よりも必死に練習したり
誰よりも何時間も勉強に明け暮れたり。
時には自ら逆境に飛び込んだり。
辛い思いをして
恥をかいて
何くそ!!!と心を奮い立たせて立ち上がり乗り越える。
これは本当に強い人しかできないことだし
若い時はできても
歳を重ねて体力も落ちてきたらどこかで頭打ちしてしまうと
今になって思います。
僕もずっとそれが正しいと思って生きてきたので
一概に否定はできませんが、
この価値観だと最終的にへばってしまうなと思ったんです。
僕はいろんなことで挫折を経験しました。
何をするにも修行から始まるので
とにかく大変。
一生は無理だな、と。
なので僕は
何をするにも
「心がホッとするかどうか」
を基準にするように変えました。
楽な方に流れるとはちょっと違うのですが、
安心できる道を進んでいこう!みたいな感覚です。
ホッと心に余裕を感じられる方向へ進むこと。
進めば進むほど
心に余裕が広がり
心地よさを土台に動けてる感覚。
「これなら歳を重ねても続けられる」
そう思ったんです。
基本的に人は歳を重ねるほど
体力や気力は衰えていきます。
同年代と比べて元気!な人はいますが
その人自身で比べると
若い時の方が元気なはず。
なので、
力で頑張るのではなく
流れに身を任せるように
自然と自動で進んでいくような行動をすることで
一生涯進み続けることができます。
身を委ねる感覚。
気を張って「よしやるぞ!」ではなく、
深呼吸をして周りと一緒に進んでいくような感じ。
それは、
川の上流に向かって流れに逆らうのではなく
流れに身を任せて逆に下っていくような。
川を下りきった先には
大きな海が広がっていて
そこには無限の可能性が広がっている。
頂上に登って景色を眺めるのもいいけど
大海原を経験するのもアリ。
海に出た後も海流に身を任せて
海に広がる世界を旅行する。
人生は修行であると思っていた時は
「できないことを出来るようにすることに価値がある」
と思っていました。
なので、
苦しいことを見つけて挑戦することが人生だと感じていました。
でも、
「苦しみは充分味わいました。ありがとうございました。」
そう心から思うと
もう苦しまなくていいんだなと思えてきて。
そこから
「人生は遊行である」
という価値観を取り入れてから、
「流れに身を任せてその都度の景色を楽しもう!」
そこに価値を見出すようになりました。
不思議なことに
初めていく場所では
普段と同じようなことが起きても楽しめます。
段差のひどい道路も
旅行先だと思うとめちゃくちゃ楽しくなります。
段差そのものが新鮮で面白い。
普段行くチェーン店のラーメン屋も
旅先で食べにいくと思うとどこか新鮮。
同じ景色を見ても
以前と違うと感じられるようになった。
それが一番大きな変化かなと感じています。
いつもと同じ町
いつもと同じ人
いつもと同じ仕事
いつもと同じ勉強
いつもと同じ景色
いつもなら変わらずスルーしてしまうものも
心がホッとする選択をしているから
いつもと違う発見がある。
毎日のルーティンにも
今日ならではの発見がある。
いつもと違う何か。
それを見つけた時が本当に面白い。
毎日閃く。
閃くから常に新鮮な気持ちになれる。
何をしても心は軽く面白い。
心がホッとする方向へ進み続けると決めるだけで
いつもの日常が
初めての毎日へと変わっていきます。
流れに身を任せるのは
受け身で消極的なのか?
結論、答えはその人次第となります。
「人生修行の人」にとっては受け身で消極的に感じ、
「人生遊行の人」にとっては能動的で積極的に感じます。
前提が違うから答えは違って当たり前。
自分にとって一生涯続けたい考え方はどちらなのか?
そこが大切なのかなと。
心が安らぐ方へ。
心がホッとする方へ。
僕はこっちが好き。
今日もありがとうございました。
コメントを残す