「この世はでっかい宝島」

「この世はでっかい宝島」

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明治神宮に参拝へ行って来ました。

 

道中、砂利道の参道を歩き

頭に溜まったごちゃごちゃした思考が

どんどん手放され

 

本殿に着く頃には

シーンと静寂に包まれたように

心が整っていました。

 

本殿でも周りが気にならず

祈ることに集中できたように思います。

 

心のざわざわが消え

ピタッと空気が止まったような感じ。

「動中の静」と言うみたいですね。

 

過去が気にならなくなり

感情に左右されず

思考がピタッと止まる

 

すると今に焦点が合い

ただそこにいるだけ

ただそこにあるだけ

という感覚に包まれます。

 

それがなんとも心地よくて

幸せだなと

心がじーんと温まってくる。

 

こういう感覚をずっと味わいながら

生きていきたいなと

そんなことを思った瞬間でもありました。

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世の中に溢れる大きなコンテンツであるほど

神社参拝を雛形に相似関係があると感じます。

 

・一度現実を切り離し(参道・砂利道)

・心を整え(本殿まで数十分歩き)

・大切なシーン・クライマックスに意識を全て向ける(手を合わせる)

という流れです。

 

映画にしても

受験にしても

部活動にしても

最終的な目的のために

それ以外の時間を全て捧げています。

 

他にも例えば、

敷居の高いホテルほど

入り口から部屋までとても長かったりなど

体験してほしい世界観に向けて

同じような流れを辿っていると感じます。

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以前「死ぬ時がピーク」

という言葉を教わり

それに衝撃を覚えた経験がありました。

 

・どういう風に最期を迎えたいのか

・そのために今どうあれば良いのかと

野球を終えてからよく考えています。

 

死生観っていうみたいです。

 

例えば、漫画家は、

締め切りがあるからこそ

それに向けて毎週毎週連載できるそうです。

 

終わりを意識するから

今に集中・決断できるのだそう。

 

人生の先輩たちに話を聞いても

「大事なのは何をするかより

今をどう過ごしているか

今この瞬間の意識の濃さ、

時間密度を高めることが大切だよ」

と、よく教えて頂きます。

 

別にダラダラするのが悪いとか

そういう話ではなく

「今この瞬間を今に生きているか?

 それを日々常に問い続けなさい」

と解釈しています。

 

大好きだったドラゴンボール

ちびまる子ちゃん

子供の頃からその世代として

ずっと親しんできた漫画やアニメ。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

そして自分は彼ら彼女らのように

今を必死に生きているのか

今この瞬間に真摯に向き合えているか

それを見つめ直す機会を

与えて頂いたんじゃないかなと思った次第です。

 

コンテンツ越しにしか

触れる機会はなかったですが

それでも非常に大きな影響を

与えて頂いたと感じています。

 

最期を迎える時に

筋斗雲に乗れる自分でありたいなと

 

そこに向かって

今を意識していこうと改めて感じました。

 

お読み頂きありがとうございました。

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