動きたいのに動けない…そんな時は前提を気にしてみる

こんにちは、ひでゆきです。

 

動きたいのに動けない、、、
こんな時にどうするか、ですね。

これは僕自身もよくある事なので
偉そうには話せないのですが、
そんな自分でも「こうしたら動けるな」という事がわかったので
それについて書いていきたいなと。

 

そもそもなぜ人は
自分が「こうしたい!」と思ったのにも関わらず
実際には動けないのか。

普通、「こう動け!」って思えば
大抵のものはイメージ通りに動いてくれます。

例えば、
ロボットやゲームの主人公など、
彼らは主人やプレイヤーが「こう動け!」と思うと
その通りに動いてくれます。

それは
コクピットから操作する事であったり
コントローラーを正確に操作できるからであったり。

他にも車の運転もアクセルを踏めば前に進みますし、
曲がりたいと思ってハンドルを曲げれば車は曲がります。

ロボットやゲームの主人公、車、これらは皆、
「動け」と思えばその通りに動いてくれます。

 

ロボットに限らず、家電製品なんかも同じですね。
掃除機を動かしたければ動かせるし
洗濯機も「洗いたい」と思えばその通りに動いてくれます。

自分の意思と実際の行動がうまく噛み合ってくれます。

 

その一方で人間はというと、
「動け!」と思っても
「明日でいいや」とか「また今度」とか。

動きと実際の行動が連動しない事も多々あります。

 

調子が良ければ動くのに
調子が悪いと動きたくない。

この現象はなぜ起きるのでしょうか?

 

朝起きてから夜寝るまで
理想の一日を思い浮かべながらも
実際にはその通り動けない。

そしてその都度
「現実なんてこんなもん」
「今日は運が悪かった」
「俺はまだ本気出してないだけ」

・・・。

 

これは本当僕自身当てはまるので
なんとも言えないなぁと思うのですが、、、

 

とは言えその一方でこんな人たちもいます。

「今日はこれをしよう!」
「今日中にこれとこれとこれをやるぞ!」
「今日も元気に頑張ろう!」

を素直に実行できる人たち。

 

意識したことをそのまま行動できるので
彼らはいわゆる何をやっても上手く行く人と
呼ばれています。

経済的自由、精神的自由、時間的自由、肉体的自由(健康)、

彼らのほとんどの人は
これらの4つの自由を体現しています。

 

周りに何が起きようと
パッと見不運と呼ばれるような事があろうとも

やると決めたことを最後までやり遂げられるのです。

 

もちろん無理しているというわけでもなく
なんというか、、、
ただただすごいなと。

で、実際そういう人に聞いたんですね。
「なぜそんなに素直に行動に移せるんですか?」
と。

何か秘密があるのかなと。

 

無理してるわけでもなく
肩肘張っているわけでもなく

どうしていつも元気に明るく有言実行できるのだろう?

しかも普通の人にはハードル高めのことも
当たり前のように彼らはやり遂げます。

 

不思議で仕方ありませんでした。

なので先ほどの
「なぜそんなに素直に行動に移せるんですか?」
という質問に対しての答えは、、、

「え?普通でしょ」

と。

 

・・・

・・・

・・・

 

あぁ、もうそれが普通なんだ。

 

で、もっと詳しく聞いてみたんですね。

 

「いつからそれが普通だったんですか?」
と。

すると、

「子供の時からずっとだよ」

という返事が。

 

あぁ、生まれながらにそういう事だったのか。

 

彼らは、子供の頃と大人になってから、
その時々でやることは違えど
「今自分が意識したこと、やりたい事を素直に行動に移せていた」
のです。

つまり子供の頃から自立していました。
子供の頃から自分で考え自分で決意し行動していたのです。

 

そういう思考回路を生まれながらに持っていたのか。。。

このままだと生まれながらに
その後の人生は全部決まってしまうことになるので

何か1つでもと思った僕はさらにこう質問をしました。

 

「自分で決めて動いてるときはどんな気分だったの?」と。

なぜこの質問をしたのかというと、僕の中にどこかで
「自分で決めて動くのはちょっと辛くない?」
と思っていたからです。

義務教育の弊害と言えばそれまでですが
僕の中では誰かから「こうしてみたら?」と
どこかで先生のような人が指示を出してくれた方が楽なのに、、、
と思っていたからでした。

だから僕はどこかで
「誰かなんとかしてくれないかな」
という自分で決めて動くことに抵抗を感じていました。

 

そんな思いを持ちながら彼に聞いた
「自分で決めて動いてるときはどんな気分だったの?辛くないの?」
という質問の答えは、

「めっちゃ楽しいよ。生きてる実感があるんだ」
という答えでした。

はは〜〜〜。なるほど。。。。

つまり彼にとって
自分で決めて動くこと、
それ自体が楽しくて仕方なかったんです。

だからか。
自分から動くことに辛さなんて微塵も感じていなかったんだ。
そうだったのか〜〜〜〜。

 

僕はそもそもの間違いを犯していました。

自分で決めて動くこと。
有言実行。決断実行。

もうそれ自体が楽しいものなんだ、と。

 

子供の頃にできた思考回路は
大人になってもその雛形として残り続けます。

今回の僕と彼の場合は、

僕:自分で決断実行は辛い、大変なもの。
彼:自分で決断実行は楽しい、生きがい。

という思考回路の違いから
大人になった今いろんな場面で違いがありました。

 

彼が質問に答えてくれたおかげで
僕は自分の当たり前が間違っていることに気づくことができました。

当たり前ってやっぱり自分1人だと全く気づけないので
そこに気づかせていただいたおかげで少しずつ変わることができました。

 

一見、自分から動くのはとても大変そうですが
(少なくとも昔の自分はそう思っていました)

自立して動いてる人ほど
実はそれ自体が好きで仕方なく
自分から動いてないときは逆に気持ち悪さを感じるとも言っていました。

もちろん、
自分から動くほど責任感もプレッシャーももちろんあるそうで、、、
でもそれも「楽しい事の1つ」と前向きに嬉しそうに話していました。

 

そもそもの当たり前が違っていた。
そこに気づかせて頂いたおかげで
自立する事自体が楽しいんだと気づかせてもらえました。

何より、
自分の当たり前に思っていることほど気づけないので

周りの人を見て
自分との違いを観ることが自分を成長させてくれるんだなとも実感しました。

 

自分一人で成長することももちろんできるけど
(勉強とか読書とか)

色んな人と関わることもとても大切だなと感じた経験でした。

 

前提に気づくって大切。

というわけで今日はこの辺で。
ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です