こんにちは、ひでゆきです。
連続投稿も44日目になりました。
いつも有難う御座います。
昨日の記事が思ったより反応が良く
「私は何もできない。世話をしてもらいたいって思いに気づきました」
などなどいくつか返信をいただきました。
読んで頂き有難う御座います。
今日は昨日の続きになります。
昨日書いた、
世話好きは相手の課題を奪い、自分自身の課題と向き合う機会に目を背けている
という事から
「周りを信頼して自分の課題と向き合おう」
という事をお伝えしました。
ただ、これってすごく勇気のいる考え方だったりします。
なぜなら、
周りを信頼するということは、
周りへの執着を手放すことであり、
結果、自分に焦点を当てる事になるからです。
自分に焦点を当てるということは、
自分にライトの光を当てるということになります。
すると、自分自身に光が当たるから、
当然全部映ります。
人には見せたくない自分嫌な部分にも光は当たります。
これがね、嫌なんですよ笑
僕自身も自分に光を当てるのは
本当に嫌でした。
だって目を背けたいじゃないですか。
自分の良さには自分で気づいてなくても
自分の嫌なところは自分で本当に自覚しています。
僕は基本的に世話好きでした。
それは自分が世話をして欲しかったことの裏返しのですが、
その根底には、
親に愛されなかったことへの不満から来るものでした。
親が自分を愛していなかったのではなく、
自分の欲を親に埋めてもらおうとしていたから起こった出来事です。
当然、生まれた直後は赤ちゃんで、
赤ちゃんの時はもちろん自分で何もできないです。
でも、だんだんと言葉を理解して、
自分で動けるように人は大きくなっていきます。
それなのにも関わらず、
もう1人で動けるのにも関わらず、
自分がやってほしいことを親がやってくれなくて
「なんで自分のために動いてくれないんだよ」
と常に不満でいっぱいの子供だった。
だからこそ、
常に孤独、常に寂しい、常に不平不満、
だったのです。
そんな状態で僕は大人になりました。
ただ子供の頃の記憶はもちろんありません。
あるのは感覚です。
自分が何かしようとしても
子供の頃の感覚が足を引っ張ります。
それは言葉で意識に上らず
感覚を通して自分に合図を送ってきます。
「自分から動くのは損だ〜」
「やってもらうまで動くな〜」
と。
自分で動けばすぐなのに、
子供の頃の自分の感覚が自分を動かさないように足を止めてきます。
だからこそ、
結果として、
思うように現実が進まない。
勉強しても集中できない。
継続しても続かない。
やると決めたことができない。
夏休みの宿題は最終日にガーッと。
いつも締め切りギリギリ。
そんな自分でした。
つまり、
「誰かがやってくれるから」
という悪い意味での人任せ。
そんな幼さがずっと残っていました。
でもそんな幼さに気づけなかった。
いや、ほんとは気づいてた。
でも向き合おうとしなかった。
だから世話好きな良い人を選択していた。
人の手伝いをしてる時は
なんだか自分が大人になったような感じがしていたし、
自分の課題と向き合っているような気持ちにもなっていた。
相手が困っていることを肩代わりして
なんだかとっても自分ができる人、有能な人みたいな感覚。
でもそれは単なる錯覚。
自分の幼さと向き合うことから逃げるために
もっともらしい理由をつけていただけでした。
親への依存から目を背けていただけでした。
ごまかしだらけの人生。
そうやって、
自分に光を当てずにただ逃げているだけでした。
自分の課題からただ逃げていた。
それに気づいた時は
本当に雷が落ちたような感じでした。
あんなに頑張っていたのに、、、
あんなに人のために動いていたのに、、、
それは全部、
自分が自分の課題から逃げるための
もっともらしいただの言い訳。
それに気づいた時は
すごくがっくり。
ただ、不思議なことに、
「ここに答えがあったのか」
と、どこかに清々しさもありました。
世話好きで人の課題を肩代わりしていた時は
何をどれだけやっても報われるのは相手。
(それはそうですよね。相手の手伝いしてたんですから)
どんだけ頑張っても
ふと振り返るといつも同じところにいる自分。
「結局人生どんだけ頑張っても報われないや」
そんなことを昔は思っていました。
でも、自分に光を当てることの大切さに気づけた時、
自分の課題と向き合っていくと覚悟を決めた時、
すーーーっと、
心のつっかえが晴れていきました。
自分のやるべきことがはっきりと明確になったからです。
親への依存をやめると決めて
親から自立していく。
自分の夢は自分で叶えると決めて
自分から行動していく。
自分から行動するから
真剣になれて知恵が出てくる。
新しいひらめきがどんどん起きて
自分が進むべき道がどんどん拓けていく。
僕はブログを書き続けることで
自分の考えがどんどん整理されて
「明日はこんなことしてみようかな」
「今日のここは無駄な時間を過ごしちゃったから、明日はこんな風に変えてみようかな」
などなど毎日を積み重ねてる感覚が出てきました。
「最近人生が加速してきた気がする」
そんな感覚が出てきました。
しかもあんなに疲れやすいと思っていた自分が
ほとんど疲れを感じなくなってきました。
自分から積極的に動くことで
余分な迷いが消え、悩むよりまず行動できるようになり、
効率良くエネルギーを使えるようになってきました。
さらに、不思議なことに、
世話好きだった頃の自分よりも
自分に光を当てるようになってからの方が、
人の役にも立てるようになった感覚もあるんです。
これがすごい不思議で。
自分のために行動してる人って
ずっと自己中で嫌な人だと思っていたのですが、
自分のために行動してる方が
相手のための行動も取れるようになってきたのです。
ブログの感想を頂くこともどんどん増えてきましたし、
リアルの場でも、
「ZOOMでレッスンやるから手伝ってよ〜」
って言われたり、
整体の依頼も増えてきました。
(自粛中にも関わらず、、、です。)
人は元気な人のところによく集まるといいますが、
多分自分に光を当てたことで
自分で自分の課題を乗り越えるという覚悟が決まり、
結果として自分のエネルギーが高まったからなのかと感じます。
自分の中心に自分を置く。
自分に光を当てる。
これらは一見、
自己中心的になって周りを無視して
冷たい人になる、、、ような怖さが最初はありました。
が、
実際はそんなことはなく、
むしろ自分を中心に置くことで
周りに対して役に立てるようになったり、
むしろ自分も相手も笑顔位になることが増えたなーと感じます。
自分に光を当てるのは最初はすごく怖いし勇気がいります。
それは今まで見て見ぬ振りしてきた自分の課題と向き合うことになるからです。
でも一旦勇気を出して向いきあってみると
「な〜〜んだ、全然大したことないや」
って感じでスッと乗り越えられます。
勇気を試されていただけ。
そんな感じです。
しかも、一度乗り越えた課題は、
その後いつでも乗り越えられるようになり
課題が課題でなくなるのです。
小学生で習う九九を大人になった今いつでも使いこなせるように。
なので、
自分に光を当てるのはすごく勇気のいることですが、
逆に言えば、勇気を出すだけで良いのです。
つまり、
「自分のために動く」
と決めること。
です。
自分の夢を自分で叶える、というと少し立派に聞こえますが、
もっと簡単に位言い換えると、
「自分のわがままを自分で叶える」
と決めることです。
世話好きの人は無意識のところで
「自分のわがままを他人に叶えてもらいたい」
と思っています。
(僕がそうでした。)
でもそれを認めたくなくて、
相手のわがままを叶えてあげようと動いてしまう。
これが世話好きのメカニズムです。
なので、それをやめて
自分のわがままを自分で叶えて行くと決めれば、
どんどん自分を信頼できるようになり、
現実が加速していきます。
「自分のわがままを自分で叶える、と決める」
ここまで自分の記事を見てくれている方は
「自分を変えたい!成長したい!」
と根底で強く思っている方ですから、
(そうでないと、このブログに立ち寄らないです。)
絶対に自分の課題を乗り越えられる強さを持っています。
なので
どんどんみんなでわがままを叶えていきましょう!
周りを信頼するからこそ
自分の中心に自分を置く。
そして自分のわがままを自分で叶えていく。
そんな感じです。
今日も最後までお付き合いくださりありがとうございました。
ではでは。
PS.
今日の気づき
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世話好きな人は自分の夢を他人に叶えてもらいたい人。
それをやめて、
自分の夢を自分で叶えていくと決める。
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ではでは。
ありがとうございました。
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