不幸に自信を持ってる人の幸せになる勇気

こんにちは、ひでゆきです。

 

不幸な自分に執着しているために
幸せへの道を受け入れらない。

そんな話をする機会が最近多かったので
それについて書いていきたいなと。

 

ダメな自分、マイナスな自分、
劣等感を感じている自分、、、

こういうメンタルの時って
相手からのアドバイスが全く耳に入らないんですよね。

 

どちらかというと
「もっと不幸な自分を認めてよ!受け入れてよ!」
とそんな思考が強くなり、

「こうしてみたら良くなるよ」
という建設的なアドバイスを受け入れられない。

 

それは建設的なアドバイスを受け入れるほど
自分をある意味では支えている
「不幸な自分」を手放すことになるからです。

自我崩壊の恐れ。
アイデンティティクライシスとも言います。

 

とは言え、
この不幸な自分への執着を手放さない限りは
本当の意味で幸せになんてなれないんですね。

単純に不幸から抜け出せないからです。

 

不幸とは執着であり
確固たる何かを求めている状態です。

〜〜がないからいけないんだ!
〜〜のせいで私は今こんなにダメなんだ!

そんな風に〜〜との繋がりを
たとえ悪い関係でも保ちたいからです。

 

全ては自分と他者との分離感が原因で。
だからこそ不幸な自分を認めると
よりその分離が強まってしまう恐れを感じているから
なおさら今の繋がりにしがみついてしまう。

 

なので、反対に、
幸せな状態とは執着のない状態のことと言えます。

しがみつかずに手放せている状態。

 

「心地よさを感じること」
これが幸せになるための第一歩だと感じています。

それは流れるプールに浮かんで流れるような、
力を抜いて水を感じること。

水を感じるかのように
周りの空気や暖かさ、心地よさ、
何もなくても大丈夫だと力みを解く勇気。

不幸から幸せへと移動するためには
分離する「孤独になるかもしれない恐怖」へ向かって
思い切って飛び込むこと。

 

心には
意識できる部分とできない無意識の領域があります。

意識の上では「自分は幸せ」と思っていても
無意識ではそうでないことも多い。

無意識が実際どう思っているかは
現実の出来事として心が動いた時にわかります。

 

具体的には、

「お菓子を友達に譲りたくない〜」
「それ私のだからダメ!」
「仕事と私どっちが大切なのよ!」

そんな風に自分のものを守ろうとするほど
孤独への恐怖、分離への不安があるのかなと思います。

 

 

だからこそ、

あってもなくても大丈夫。
何があっても私は私。

そんな風に思えれば思えるほど
より深く幸せを感じられる自分へと変わっていきます。

 

心が動いた時ほど
力みを手放し
心地よさを感じる方へ勇気を持って進む。

その意識が大切なんじゃないかと思うこの頃です。

 

今日もありがとうございました。

 

 

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