こんにちは、ひでゆきです。
人は自分に影響を与えた以上に
人に影響を与えることはできない。
今日はそんな話です。
先日野球をしてきました。
早朝から昼ごろにかけて
若干の霜が残る中
グラウンドを走り回ってきました。
雪が解けた後のような寒さの中
みんなで声を出し合いながら
支えあうようにボールを回す。
「元気出してー!」
「寒いから声だしてこー!」
そんな感じで盛り上げていきました。
早朝から4時間もの野球。
学生の頃は
「4時間で終わるなんて今日は何かあったのか?」
監督を心配するような声を出してたものの、
大人になった今になっては
「4時間は長いな」
なんて言う始末。
体力の衰えもさることながら
気持ちの守備範囲が変わったんだなとしみじみ。
チームには大学卒業したての子から
30歳を過ぎても元気な年寄り扱いされる選手まで
割と幅広く在籍している。
小学生から野球一筋強豪校の選手もいれば
大学のサークルから初めての選手、
草野球から始めた選手まで。
当然チームに入るまでの経歴は様々。
僕は野球を初めて20年以上経つ。
そのうちプロを目指してちゃんと取り組んでたのは最初の16年ほど。
初めてボールを触る選手よりは
野球というスポーツには触れてきたつもり。
16年間本気になって取り組んで
15年間は補欠を味わってきた。
後輩に抜かされる肩身の狭さ。
上下関係において年下にポジションを奪われるのは
思っていた以上にメンタルにくる。
だけど補欠だったからこそ良かった部分もある。
今となってはその感覚の方が強い。
練習に打ち込めたからだ。
もちろんレギュラー選手も練習に打ち込める。
ただ背負ってるものが違う。
レギュラーの選手は結果を出さないといけない
自分のことよりチームに求められることを優先されてしまう。
ただ補欠は違う。
純粋に上手くなる必要がある。
幸か不幸か
ずっと補欠だと純粋に監督から見放されているところがある。
「たまには見てやるか」
ぐらいの感覚。
それが良かった。
僕はどちらかというと有言実行、期待に応えるのは昔から苦手。
思考が散らかり集中できない癖があったからだ。
逆に1人の時間を作り、
そこに籠って思考を成熟させるのが好きだ。
色んなことを試行錯誤し検証するのが性に合っている。
根っからの研究者気質があると思う。
だからこそ
監督の目を気にせず取り組んだ練習は好きだった。
仮説を立てて検証する。
違ったら勉強の旅に出る。
また仮説を持っきて検証する。
その繰り返し。
「いつでもどこでも誰にでも」
時代や流行にとらわれない本質的な理論を求めていた。
当時は筋トレが注目されていた頃だった。
多分にもれず筋トレにも打ち込んだ。
おかげで
体はゴツゴツして筋骨隆々。
190cm100kgのガタイ。
やり始めると
突き詰めるタイプなので
体はチームでも割と抜けていた。
ただ動きは鈍い。
なんなら前より体が重くなった。
なぜだろう・・・?
明らかに自分より背の低い選手が
自分よりも速いボールを投げている。
明らかに体重の軽い選手が
誰よりもボールを飛ばしている。
それは現実だった。
受け止めなければ先には進めない。
なので筋トレの奥にある情報を求めた。
表面的なガタイの良さを超えた
その奥にある上達の秘訣。
それはもう書店や動画の情報じゃわからなかった。
表に出回っていない裏の情報。
ネット全盛期だったからこそ
インスタントではなく
手作りの時間をかけて造られた情報が必要だった。
「お金をかけるしかない」
「無料の情報は調べ尽くした、けど上達はしなかった」
心が飢えていた。
本質的な情報を求めていたのだ。
著名な指導者の野球塾には片っ端から行った。
でもピンとこなかった。
動作に焦点が当たっていたからだ。
一流の人の動き方を教えるという謳い文句。
それでは上手くならなかった。
なぜなら
動作は感覚から生まれているから。
一流の人の感覚がプロの動きを生み出している。
アマチュアの感覚からはアマチュアの動きしか生み出せない。
動き方から動き方を作ろうとすること自体が理に反していた事に気づいた。
感覚から動きを生み出す。
この視点が上達の秘訣だったのだ。
〜〜が上手くなる方法3選。
〜〜のマル秘テクニック5選。
〜〜ができるようになる魔法の練習方法7選。
これらは全て
枝葉から枝葉を生み出そうとしている。
枝葉を生み出すのは一粒の種だ。
一粒の種が幹になり枝葉が生える。
プロの選手の動きは枝葉。
感覚がその種。
種そのものの品種改良、もしくは別の種に植え替える。
それが本質的な上達の鍵。
ではどのようにして感覚を磨くのか。
その答えは
・まず知識として感覚を理解する事
・そして反復練習
よくある流れなのは承知の上。
大事なのは
「感覚に焦点を当てて練習する事」
だ。
量をこなせばいいのではない。
知識を学べばいいのではない。
一回一回の練習から
感覚をフィードバックしながら行う事。
つまり
「脳に汗をかくこと」
これが大事。
やらされる練習と
自発的な練習の違いはここにある。
アウトプットの有無である。
とはいえ日本人はアウトプットが苦手な一面見ある。
それは日本人は戦後GHQの影響で
YESマンを作る教育が施されてきたからだ。
言われたことをやるのは得意。
でも自分からアイデアを出すのは苦手。
上の命令に忠実な人が好まれる教育を受けてきた結果である。
なので仕方ないといえば仕方ない。
しかしもし本当に上達したいと思うなら
「それに対して自分はどう感じたのか」
自己評価を正しくできる能力が必要だ。
だからこそ
地味に地道に反復する。
反復した分だけ自己評価の物差しができるから。
物差しができるに比例して
・実際に上達しているのか
・進む道はずれていないのか
努力の進捗を客観的に下せるようになる。
だから上達する。
種に適切な水量を与えられるのだ。
運動神経の上達の阻害として、
世間一般には
「筋肉は力を入れるもの」
という定義があるように思う。
それらは、
腕周りの太さ
体脂肪率
重量度合い
わかりやすい数字として見ることができる。
ただ上達するには
「筋肉は感覚の通り道」
という認識が必要だ。
プレーの上達には感覚を連動させる必要があるからだ。
力は連動を阻害する。
できる限り脱力することで
意識が通るようになる。
ただこれは数値で認識できない。
力を抜くから手応えもない。
やればやるほど
「本当にあっているのだろうか?」
と疑心暗鬼になってくる。
非常にわかりにくい。
わかりにくいからこそ
世間一般には浸透しない。
ただそこと向き合う。
反復し数をこなし引き出しを増やす。
大量に数をこなせばこなすほど
・これは正しい感覚
・この感覚は間違っている
というのが見えてくる。
いかに感覚をつなげるか。
いかに筋肉が連動の邪魔をしないか。
動くの洗練さを磨くほど
半年過ぎたあたりに急に上手くなった。
周りが驚くほどの違い。
次元そのものが変わったかのような感覚。
成長ではなく進化したんだな・・・
大量に数をこなしたからこそ
・必要な感覚を磨き
・不要な感覚をそぎ落とすことができた
自分のすべきことが見えてくる。
やるべきことが明確になる。
迷いがなくなりパフォーマンスに自信が湧いてくる。
だから結果が自然と出る。
種と枝葉。
感覚と動作。
これが線でつながっているから上達するのだ。
長年の補欠は無駄じゃなかった。
苦しんだことは未来の肥料になる。
そんなことを学んだ。
冒頭に話を戻して、
「人は自分に影響を与えた以上に
人に影響を与えることはできない。」
という話。
練習中に相談を受けた。
高校以来数年ぶりの野球だという。
「ボールってどうやって投げればいいんでしょうか」
「コツを教えて欲しいです」
という相談。
個別の自主練時間で
時間もあったので先ほどの話を交えながら
ボールの投げ方を感覚から話してあげた。
感覚を磨くという視点から動作を伝える。
もともと本人が持ってる感覚もあるので
それと上手く調和・同期するように。
すると投げれるようになった。
初めは肩の痛みもあったらしく
塁間(約27m)を投げるのもやっとだったのが
50m以上はゆうに届いていた。
本人の吸収意欲もあったおかげで
ほんの10分ほどで別人のようになっていた。
全然違う・・・と本人談。
とはいえ感覚は移り変わりが早いので
ゴールの感覚を学んだら反復練習が大事だよとも伝え、
次回また野球をするのがすごく楽しみで仕方ない。
これがもし、
当時の自分が才能に溢れていて
やることなすことなんでも出来る人だったら、、、
今回のような経験はできなかった。
結果を教えるのではなく
本質とその過程を教えることが
上達には必要だからだ。
何もできなかったからこそ
今になって周りの役に立つことができる。
人は自分に与えた影響以上に
人に影響を与えることはできない。
「成長過程の成熟の大切さ」
あの時苦しかった過去のおかげで
今が明るいんだと心から思う。
ありがとうございました。
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