相手への思いやりが相手の心に届くためのある1つの視点

こんにちは、ひでゆきです。

 

先日友達と話していて、
「思いやりってむずくね?」
って話をしていました。

 

その彼はとても友達思いな人で、
周りの人を常に気にかけるような、そんな人。

 

仕事もできるし
思いやりもある。

そんな彼でも色々話していると、
「自分が良かれと思ってやっていることは
果たして相手の為になっているのだろうか?」

その辺りを悩んでいたそう。

 

普段何気なく送るLINE。
それも気軽に送りたいけど
如何せん相手の時間を奪っていないか?とか、

その言葉は相手にとってどう映っているんだろうか。。。

と1つ1つの言葉を取ってもすごく丁寧に考える人。

 

気にしすぎかなと思うくらい気にしていて、
でもそれだけ相手の事を考えているからこそ
そこまで真剣に考えているんだろうなと思う。

自分の考えをしっかり持っている傍、
相手のことも同じくらい考えている。

 

そんな彼だからこそ、
「自分の言葉は相手の為になっているのだろうか?」

という言葉が出てきたのかなと思う。

 

言葉って不思議で、
言葉は同じでも、
その言葉を発する人やその背景で驚くほど意味は変わってくると感じます。

 

野球を始めたばかりの少年が発する
「野球って楽しい」と、

プロ野球選手が発する
「野球って楽しい」

では、その言葉の重みは変わってくると思う。
それは経験値、場数、乗り越えてきた数が違うから。

 

彼は自分でビジネスを始めていて何年も順調だそう。
お金よりも人を大切にして、それが実を結んでるって言うし
実際年商ベースでも毎年右肩上がり。

 

そんな彼とよく話をして出てくるのは、
「どうしたら相手が笑顔になるか?」
という言葉。

 

かなり頻繁に出てくる。
てかそれしか考えてないんじゃないかと思う。

普段から常にどんな状態でも
明るく振舞っているし、
声も相手に聞こえやすいようにはっきりとしている。

 

知識も豊富で、
自分からよく色んな事を学びに行っているし、
そこでの学びを友達に教えていたりと

いわゆる面倒見も良い人。

 

責任感の塊みたいな人で、
相手の話をじっと聞けるし、
それについて自分の意見もしっかり伝えられる。

 

うまく伝わらなかったとしても
思うようにいかなかった後も、

次に会うときはケロッと忘れて水に流したかのように
あっけらかんとしている。

 

そんな風に普段から人を大事にしてきた彼の言葉だからこそ、
「自分の言葉は相手の為になっているのだろうか?」

という言葉は心の底から出た言葉なんじゃないかと思いました。

 

そういう背景があったので、
僕としては適当に答えたら失礼だなと感じ、しっかり考えてから
自分なりの考えを伝えました。

僕の考えとしては、
「言葉の選び方じゃなくて、
どこに向かってその言葉を発したかが大事だと思うよ」

と伝えました。

 

どこに向かって?って
相手に向かってじゃないの?

という彼の意見。

 

それはそうなるよねと思いつつ
もう少し具体的に続けました。

「僕もそうだし、
みんな人に指示されたり、束縛されたりするのって嫌だと思うんだよね。
基本的に自分の意見を分かってくれる人が好きだし、
気持ちを通じ合える人を好きになるかなと思うんだ。

だから相手に向かって直接伝えた言葉は
言われた相手はどんな言葉でもプレッシャーを感じてしまう可能性が高いと思う。

だから、相手に向かっては言わない。」

 

ふむふむ。。。
じゃあどうしたら良いの?
と彼の言葉。

 

『人間、時間、空間。

全部”間”という字がある。

 

金八先生のドラマで、
「人という字は支え合って生きているという意味がある」
と言っていたように、

人と人の間には、必ずその人同士での何かしらの関係性がある。

だからその関係性を進めるように言葉を伝えると良いと思うよ。』

 

そう伝えました。

 

「この関係性を進めるという考え方は、
自分がコミュニケーションをどうにもうまく取れなかった時に
色んな先生方から教えていただいた考え方で。

そうしたらだんだんと人と信頼を築けるようになったんだ。

 

関係を進めるために、
自分と相手の間に二等辺三角形をイメージして
その頂点の交わるところに伝えると良いよ。

三角形の頂点で目の前の相手に出会うかのように伝えるんだ。」

 

そういう風に伝えました。

感覚的な話なので
うまく言葉にできているか不安ですが。。。

 

大切なことは、

言い方を変えるのではなく
言葉の伝える先を変えると言う事。

 

相手に向かって
「練習しろよ!」
と直接伝えるのではなく

甲子園に行くために
「もっとこんな練習した方が持ち味活かせるんじゃないか?」
と提案するような感覚。

 

相手に自分の意見を認めさせるのではなく
相手が成長して前進し輝いてる未来へ向かう為の言葉を送る感じ。

 

友達同士で「今日どこ飯行く?」
みたいな会話の時も

その言葉の裏に
「俺がチャーハン食いたいから中華行くでしょ」
って決めてて言うのと

「お互いにとって満足できるお店の意見出し合おうよ」

だと、伝わる空気感って違うと思うんです。

 

だからこそ、
「あなたのためにやってあげてるんでしょ!」
ではなく、
「これをしてあげたらお互いにとって良いんじゃないか」

みたいなニュアンスで伝えるのが大事だと感じます。

 

もちろん、彼の、
「自分の言葉は相手の為に立っているのだろうか?」
という言葉は相手を思いやるからこその言葉です。

ただそこに関係を進めるためという視点が無かったために
思いやりのエネルギーを与える焦点がブレているように感じました。

 

コントロールの良いピッチャーだからこそ
どこに投げるかを迷っていた感じ。
精度が高すぎた故の悩みに聞こえました。

 

関係性を進めるというのは、
いわゆる「win-winの関係」を深めていく事だと僕は思っています。

 

ただ喋って盛り上がるだけではなく、
甲子園を一緒に目指すチームメイトのように
どうしたら甲子園に行けるかアイデアをその都度出し合う感覚。

 

僕としては、
友達思いの彼だからこそ、
その力をフルに伝えられるようになれば
もっと彼の人生がよくなるかなと思い、そう伝えました。

 

ただ傷を舐め合うのではなく、
ただ笑い合うだけではなく、
(それはそれで楽しいんだけど・・・笑)

目の前の人の進む道がどんどん拓けていくように
そんな感覚で言葉を伝えたらどんな言葉でも
相手のためになるよ。

 

そんな気持ちで自分なりの答えを伝えました。

 

彼にとってその言葉は腑に落ちたらしく
「なんか全然違うことに悩んでたみたい笑」
「おかげでスッキリしたわ〜」

と嬉しそうでした。

 

その言葉の裏にある思いを大切にする。

 

思いやりに溢れてて、
信頼関係や責任感を大切にしているからこそ

いざ相手の相手のためにどうしたら良いかわからなくなってしまう。

 

その状態の彼へ進む道を示してあげる、
そんな感覚でアドバイスを送りました。

 

僕も彼にはたくさん助けてもらった時があるし、
だからこそ自分も役に立ててよかったと思える出来事でした。

自分と相手の関係性を進めると言う視点は
意外と知っていて損はないかなと思いここにも書かせていただきました。

 

 

自分の意見も相手の意見も全部正しい。
そこに間違いはなく、
ただ見てる視点の向きが違うだけ。

授業中、

先生の立場から見たら背中の後ろにある黒板も、
生徒から見たら前側にある。

 

見てる向きが違うだけ。

先生にとっては後ろ側。
生徒にとっては前側。

みんな全部正しい。

 

だからこそ、
相手の目線からの景色をイメージしながら伝えるのが大切かなと思います。

 

ではではこの辺で。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

あなたの真心に太陽の木漏れ日が差し込みますように。

 

PS。

こんな事を書きつつも、
僕はずっと相手への「思いやり」が
「重い槍」になって言葉を突き刺していました。

正論を言えば良いと思っていた時は、
ことごとく相手に不快な思いをさせてしまっていました。

 

今になって、
小学生の道徳の時間をもっと大切にしておけばよかったと思うこの頃です。
過去は戻れないので前進あるのみ笑

 

今日も読んで頂きありがとうございました。

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