こんにちは、ひでゆきです。
いつも有難う御座います。
おかげさまで連続投稿も43日目を迎えました。
また、いろんな方に応援していただき
当初の目標であった42日間連続投稿も達成できました。
有難う御座います。
で、今回、
連続投稿42日間チャレンジをしてみて感じた事があります。
それは、
「みんな自立しているんだな」
という事です。
言い換えると、
「自分は周りの世話をする必要はないんだな」
という事です。
どういう事かと言うと、
「人は自分がしてほしいことを他人にしてしまう」
と言う性質があります。
つまり、
僕が周りの世話をする必要がないんだなと感じた背景には
「僕自身が周りに世話をしてもらいたかった」
と言う思い込みがあるということです。
ブログを続けていく上でそう思い込みがある事を強く感じたのですが、
なんと言うか、
自分で言葉に出していなくても
誰かに応援してもらわないと続けられないと思っていたという事です。
具体的に言うと、
思い込みって子供の頃の自分が感じた事が土台になって
大人になった今もその思い込みをもとに行動をしています。
つまり、
僕は両親がとも働きと言うこともあり、
子供の頃の僕は、
「なんで父ちゃん母ちゃんは家にいないんだ。
なんで遊んでくれないんだ。
もっと自分に構ってよ。」
と言う風に強く感じていたんだと
ブログを書き続けていくうちにわかったんですね。
普段はそんな事は無意識に思っているので
意識には登らないのですが、
毎日書き続けているうちに意識上に上がってきました。
子供の頃の自分はもっと遊んで欲しかった。
もっと自分を世話して欲しかった。
でもその思いは子供の頃に解消されず
大人になった今も引きずり続けていた。
だからこそ、
僕は自分自身で決めた42日間チャレンジだったのにも関わらず、
どこかで「僕のこと構ってよ!」って思いを発信していたのです。
気持ち悪いですね。普通に。
なので、僕はずっと、
誰かを応援したり、
頑張っている人をみたら励ましてあげたり、
手伝わないといけないと思っていたし、
何より、自分のために頑張る事は悪い事だと思っていました。
自分のために自分が行動すると言う事は、
親が仕事に夢中になって自分と遊ばなかった事を
肯定してしまうことになるからです。
簡単に表すとこんな感じ。
子供の自分「子供の世話をしない親は悪いやつ。僕より仕事の方が大事なんだ」
↓
ブログを書く前の自分「周りの世話をしないのは悪いやつ。世話をするより自分のためのブログを優先させるのはダメ」
と言う価値観でした。
でも、ブログを書いて気づいたんです。
別に自分が周りの世話をしなくても
みんな大人だし自立してるし、
別に助けを求めてないのに自分が手を差し伸べてもしょうがないよな。と。
つまり、
子供の頃の
「僕より仕事を優先させる親は悪いやつ」
と言うのは僕の未熟な勘違いだとわかりました。
すごく当たり前のことなのですが、
親が仕事をしないと家族は食べていけません。
親が仕事をしてくれていたからこそ
子供の頃の自分は毎日学校に行けて友達と遊べて美味しいご飯をたくさん食べることができたのです。
何が言いたいかと言うと、
「子供の世話をしない親は悪いやつ。僕より仕事の方が大事なんだ」
は勘違いで、本当は、
「仕事熱心な親は最高の親。自分のためにも家族のためにも仕事をしてくれていた」
と言うのが正しいなと。
だからこそ、
子供の頃は親に構ってもらえなかったのではなく、
子供とはいえ困難は自分で乗り越えられるし、
信頼してもらえていたから構う必要もなかった。
なので、結果として仕事に精を出せていた。
のかなと。
そう考えを改めて見ると、
ブログを書く前の自分の考えもズレていたことに気づけました。
ブログを書く前の自分は、
「周りの世話をしないのは悪いやつ。世話をするより自分のためのブログを優先させるのはダメ」
と言う考え方でした。
それも無意識に思っていたので、
自分が何かに挑戦するのは今までかなり大変でもありました。
自分で自分の足を引っ張ってしまうので。
ただ、ブログを書いているうちに子供の頃の勘違いに気付き、
「周りの世話をしないのは悪いやつ。世話をするより自分のためのブログを優先させるのはダメ」
から、
「周りは自立しているから自分が手を差し伸べなくても大丈夫。自分の挑戦に熱心になることが結果として周りの役に立てる」
と変えることができました。
相手自身が自分でできることにまで手を出す必要は全くないとわかりました。
大変な時もあるのですが、
その大変なこともその人の力で乗り越えられると信じられるようになりました。
もし本当に大変で助けを求めてきたらその時は力を貸して良いのかもですが、
基本的に相手の課題まで自分が踏み込む必要はないのかなと。
よく、
蝶が蛹(さなぎ)から脱皮するときに
その脱皮を手伝ってしまうと、
蝶に形上はなれるけど、
蛹から出るときの抵抗を乗り越える際の負荷を乗り越えなければ
羽ばたく事はできずに落下してしまう。。。
みたいなのと同じなのかなと。
見守るけどギリギリまで手は出さない。
相手自身の力で本当に飛べるようになると信じる。
だからこそどんな困難も乗り越えられると信じられる。
そうやって相手を信頼するからこそ
本当に自分のやるべき事に集中できるのかなと。
世話をして欲しかったときの自分は、
自分で自分の困難を乗り越えることができないと思っていたから
誰かに常に世話をして欲しかった。
でもそれを相手に求めるのは失礼だと自分で感じているから、
自分が相手の世話をしようとし続けていた。
とうことです。
ノンストップで書いたので
多少文章滅茶苦茶ですが笑
まとめると、
自分で自分を信頼できなかった頃は、
誰かに世話をして欲しかった。
でもそれはできないと言うか相手に失礼。
だから自分が世話好きになることで
相手に自分を信頼してもらおうとしていた。
でもそれだと
相手の課題の肩代わりをして
相手の成長を阻害してしまう。
さらに、そのままだと、
自分が自分の課題とは一生向き合えないので
自分自身も本当の意味で成長はできない。
成長と貢献が大事と言っておきながら
相手の課題を奪い
自分の成長を妨げてしまっていた。
だからこそ、
世話好きをやめる。
相手の課題は相手自身の力で乗り越えられると
信じて見守る。
それが信頼と貢献につながる。
さらに、
相手を信頼することで
相手に手をかけなくて良いと悟り
自分自身の課題にしっかりと向き合うことができる。
自分の課題と向き合うから
困難を乗り越える力をつけることができ
その身についた能力のおかげで
さらに多くの人の役に立てるようになる。
それが本当の意味での成長と貢献なのかなと。
相手を信頼し
自分の中心に自分を置く勇気を持つ。
親が自分の仕事に熱心に向き合っていたおかげで
僕自身不自由なく子供の頃生活を送ることができたように、
今の自分が自分のやるべきことに夢中になるから
周りの人たちが本当の意味で自由な生活を送れる役に立てるんだなと、
42日間チャレンジを通じて学ぶことができました。
世話好きをやめる。
自分のために自分が動く。
自分を信頼する。
自分を必要とする。
自分で自分を成長させる。
その結果本当の意味で周りの役に立てる。
そんな感じですね。
ブログを毎日書き続けるのは本当にためになりますね。
自分の思考を整理できるし、
ネタが尽きる時は自分の世界が狭い事を痛感するし、
自分の世界を広げるためにもっと勉強しようと思えるし、
毎日書く事で自分の欠点や強みを理解できるようになるし。
自分の勘違いに気づけて
本当に大切な事に気づけるチャンスになったりもするし。
42日間チャレンジを成し遂げて本当によかったなと感じています。
今後も楽しく頑張ります。
いつもありがとうございます。
ではでは。
PS.
今日の気づき
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世話好きをやめて
自分の中心に自分を置くと
本当の意味で相手の役に立てる自分へと成長できる
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ではでは。
ありがとうございました。
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