「特別じゃない」その言葉のおかげで心から救われた話

こんにちは、ひでゆきです。

 

自分は特別じゃないよ。

 

今日直接言われた訳では無いのですが
「特別じゃ無いよ」
と言われた言葉が自分の事のように心に刺さりました。

特別じゃ無い。

その言葉を目にした時に
「よかったぁ」
と不思議と安心できたんです。

 

これは僕の解釈なので
その言葉の発信の本質とは全く違うのですが。。。

 

なんか僕は昔から
・人よりできなきゃいけない
・特別で無いといけない
・みんなと違うことをしないといけない
という、

なんとなく
みんなと一緒じゃダメなんだ
というhave toに縛られていたことに今になって気付く事ができました。

 

野球の世界に限らず
勝負事や競争社会の中では
いかに自分と周りとの違いを作るか?
いかに自分と周りの差をつけるか?
それが最優先事項で一番大切だと感じてきたからです。

なので、
どこかで自分の心を鎖でグルグルに縛っていたんだなと
その言葉のおかげでストンと気づく事ができました。

本当にありがたかった。

 

自分の心の奥にあった見えないシコリみたいなものが
サラサラ〜っと細かく粒子状に砕けていくような感じがあって

特別じゃないんだ
特別になろうとしなくていいんだ

そんな風に、
頑張んなきゃいけない
努力しないといけない
苦しみに立ち向かわないといけない

そうやって自分で自分を追い込む癖がついていたことに気づけました。

 

なんとなくその言葉を噛み締めた後に

あ〜。なんかすごく楽になった。
肩の荷が下りた。

そんな気分。

 

僕は長男でもあるからか
昔から周りの人には

・甘え下手
・もっと人を頼りなよ
・プライド高いよね
・ミスを怖がるなよ
・口ばっかだよね

なんて言われてきました。

 

まぁ確かにそうだなと思うのですが、

それは結局、

 

特別な自分でいないといけない
人より優れていないといけない
完璧じゃないといけない
何をするにもできないといけない

そんな思いが根底にあったからなんだなと。

 

特別になる必要なんてないし
自分は特別でもなんでもない。

その言葉のおかげですごく心が軽くなりました。

 

あぁ〜。愛されてる。

 

最近は自分の深い思いに気付くことが増えてきました。

やりたいことをやらないといけない、、とか。

昔から親に口すっぱく言われてきた
「好きなことをやれ!」
という言葉から、

好きなことをやらないといけない。。みたいな事とか。

 

自分が〜〜しないといけないに縛られていることにも
たくさん気づけるようになってきました。

自分のための好きな事の行き着く先は
「楽しかった!」
という満足感。

満足感の先にあるのは
「もういいや」
というこれ以上動きたくないという気怠さ。

満腹の後は眠くなって動きたくなくなるような、あの感じ。

 

僕は野球を本当にとことんやりました。

それこそ
「もう満足。野球はもういいかな」
ってくらい。

自分のためにプロ野球選手を目指して
そのために周りには目もくれず
できることは全てやりました。

結果はともかくとして。

 

そしてその最後にあったのは
「自分のために頑張るのは本当にもう満足した」
「自分のためにはもういいかな」
という思い。

自分の満足感のために好きなことをやることに
ここ数年、モチベーションが湧きにくい。

そんな感覚がずっとありました。

 

だからこそ、
昔から口すっぱく言われていた

好きなことをやれ!
周りと差をつけろ!
特別じゃなきゃダメだ!

的な言葉は

野球を卒業した後は結構負担になっていました。

 

ただそれにずっと気づけずに
今までずっと来ていたのですが、

それを今日、

 

特別じゃないよ

 

この言葉のおかげで僕の心の奥のもやもやが
スーーっと晴れました。

 

自分は特別
好きなことをやらないといけない
やりたいことに夢中にならないといけない

そんなことは必要なく

 

みんな一緒なんだ。
自分だけ特別じゃないんだ。

そう気づかせて頂いたおかげでやっと、
自分の満足感のためではない理由で
動いて良いんだと自分を許すことができました。

 

心が軽くなると本当に清々しい。
心の風通しがよくなった感じ。

 

おかげさまで本当に素敵な1日になりました。
いつもありがとうございます。

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