こんにちは、ひでゆきです。
ここ最近、
承認欲求と自己実現欲求をテーマに記事を書いています。
承認欲求とは、
自分の欠けていると感じている点から生じる「嫌悪感」を満たすために、
憧れの人が喜ぶように振る舞い、その人が喜ぶ姿を見て自分の嫌悪感をごまかす欲求のこと。
承認欲求の最終目的は
「自分の嫌悪感を(一時的に)満たすこと」で
欠けている部分を相手に埋めてもらいたい欲求のことです。
反対に、自己実現欲求とは、
自分の理想の姿に対して現在の自分の
足りない点や欠けている点を客観的に見て
その欠けている部分を
自分の行動や学びの気づきを種に
「納得感」「腑に落とす」ことを積み重ねた結果
自分で自分を満たしていくこと。
自己実現欲求の最終目的は
「自分の納得感を積み重ね成長していくこと」で
欠けている点を自分自身で満たしていくことですね。
承認欲求は
自分の欠けている点を相手に埋めてもらおうとする欲求に対し、
自己実現欲求は
自分の欠けている点を自分の気づきと納得で埋めていく欲求のことです。
両者の根底にあるのは
「劣等感」
なのですが、
承認欲求は相手に対しての劣等感からくる嫌悪感であり、
自己実現欲求は理想の自分と今の自分を比べたことからの劣等感です。
一見
「劣等感を抱くことってよくないのでは?」
と感じますが、そんなことはありません。
これは例えば、
有名な「嫌われる勇気」というアドラー心理学の本に
「健全な劣等感を抱く」
という言葉が載っています。
理想の自分に対して
今の自分を冷静に客観視した時に生じる「差」を
1つ1つ行動しながら埋めていくことで
着実に成長していける糧にすることができるので
「健全な劣等感は必要な感情」
とも書いてありますね。
感情はエネルギーなので
感情があるから行動する意欲が湧いてくるのです。
感情とは
「嬉しい、悲しい、楽しい、悔しい」などの
喜怒哀楽のことで、
これらは世間一般的に
ポジティブな感情は良くて
ネガティブな感情は悪い
と言われてますがそんなことはありません。
感情は車のガソリンのように
喜怒哀楽全て行動の土台になるからです。
さらに感情が沸き上がる時は
自分と何かに対して「差」を感じた時なので
理想の自分と今の自分の「差」を認めて
それを埋めていくことで成長することができます。
これは受験の時に
「志望校まで偏差値あと20足りない・・・」
「なんとかしなきゃ!勉強勉強!」
みたいなあの感じです。
目指す目標に対して足りない部分を素直に認める
「健全な劣等感」
これすごく大切です。
完璧ってないんですよね。
みんな必ずどこか欠けているし
完全に「これ以上できません」なんて存在しない・
どこまで登りつめても完璧なんてない。
上には上がいる、、、みたいな。
例えば数字。
どんなに大きい数字も
それに1を足したら1増えます。
1億に1を足したら1億1。
さらに1を足したら1億2。
そんな感じで
増やそうと思ったらどこまでも増えていくし
減らそうと思えばどこまでも減らしていけます。
これは例えば、
稼ぐ金額、収入、チャンネル登録者数、
ブログのPV、メルマガ登録者数などなど、
上限なんてないし
これで完璧なんていう数字も存在しない。
あの人と比べて自分はここがダメ、あそこがダメ。
人はついつい誰かと比べて
差を感じては自分を責めてしまいます。
これはDNAにもともと組み込まれているプログラムで
意識しないと自分で自分を下げようとしてしまうのです。
みんなそう。
狩猟時代から人は
いかに安全策を取り失敗しないように
石橋を叩いて渡らないと生きていけませんでした。
強気な人ほど
勇猛果敢な人ほど
マンモスに返り討ちにあったり
大自然の脅威にやられていました。
「命の危険と隣り合わせ」
この時の情報が人間のDNAには深く刻まれているので
基本的に人は失敗しないように、ミスしないように、
どんどん自分の行動範囲をせばめようとします。
だからこそ安全。失敗しないから。
命の危険を感じないための昔からの工夫。
だから基本的に人は
何かに対して、誰かに対して、
「差」を感じたらそれを必死に埋めることで安心感を得ようとします。
さらに、
その「差」はできるだけ早く「すぐ」に埋めたくなるので
すでにそれを埋めてる人に近づいて安心したい。
なので、
承認欲求が存在するのは当たり前なのです。
安心感を感じていたいから。
でも、今の時代は命の危険はほとんどありません。
今の時代はコロナが過剰に騒がれてはいますが
日本人の死者数って圧倒的に少ないんですね。
それは昔から
手洗い、うがい、発酵食品を食べる、
お清めと浄化の文化(盛り塩など)の習慣があるから。
健康的に清潔を保っているのが当たり前なので
基本的に普通にしていれば元気なんです。
もちろん普通に街を歩けるし
何をしても安全に過ごせます。
海外の方が日本に来た時にまず驚かれるのは
「なんで自動販売機があるんだ!」
ということだそう。
もし海外に自動販売機を設置したら
すぐに販売機ごと盗まれてしまうそうです。
なので
安全でない限り自動販売機は設置できない。
それくらい今の日本は安全です。
だからこそ
今は昔と違って
「欠けていることに全く問題がない」
のです。
昔は欠けている部分は
そこを突かれたら一瞬で死に直結していました。
だからこそ
いかに欠けないように安心安全を確保するかが最優先。
挑戦するより安全第一。
でも今は違います。
挑戦しても死に直結しません。
欠けていても安心安全なのです。
だからこそ
「自分の欠けている点を相手に埋めてもらう必要はない」
と知ること。
「欠けてていいんだ」
「差があっていいんだ」
コンプレックスはあっていい。
できないことはあっていい。
承認欲求は必要ない時代になりました。
理想の自分と今の自分の差を埋めるのは
なんだかとても時間がかかるような気がします。
相手に埋めてもらった方が
すぐに手っ取り早く埋めてもらえそうな気がします。
欠けているのは正直不安です。
でもそれでいいんです。
ネガティブな感情、劣等感、
これらは敵ではなく自分の味方。
今の自分に必要だから今も存在しているのです。
だから大丈夫。
欠けていていい。
むしろ欠けてて当たり前。
欠けてる分だけそれは伸びしろ。
承認欲求で悩んでる人が
自己実現欲求へと昇華した時、
成長ではなくもっと先の
「進化」
を体験できるようになります。
生きながらにして生まれ変われる。
最強のサナギより
光羽ばたく蝶へとなれるのです。
「健全な劣等感は敵ではなく味方」
「欠けているのは当たり前」
「欠けているから完璧」
というわけで今日はこの辺で。
ありがとうございました。
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