こんにちは、ひでゆきです。
戦争が始まったとニュースになりました。
ロシア軍がウクライナに侵攻を始めたそうです。
僕自身がそれについて何か影響を与えることはありませんが
世界の出来事と身の回りの問題はリンクしているので
戦争のテーマを抜き出すことを今日はお伝えしたいなと。
ネットニュースには
「ロシアがウクライナを傘下に入れたい」
と戦争の目的が書いてありました。
ほんとかどうかはわかりません。
ただ、もしそうだとしたら、
その目的の裏にあるのは
「周りの人を思うように動かしたい」
人間の本性があるのだと感じます。
人は得てして自分の期待通りに動いて欲しいものです。
そして期待通りに動かない人を罰しようとする習性もあります。
これは例えば学校のいじめもそう。
いじめについての研究を見ていると
いじめの中心にあるのは「自分と違うことが鬱陶しい」
との思いがあるそうです。
自分が正しくて
自分が正義で
それ以外の人は間違っている。
分離を通じた嫌悪感です。
頭に生えてる髪の毛は気にならなくても
散髪した後の髪の毛には嫌悪感を感じるのと同じ原理ですね。
人は自分と同じものには好意を抱いて
自分と違うものは敵と認識する習性がありますから。
これは他には
「科学」
もそうです。
科学的に認められたものが正しくて
それ以外は非科学的で間違っている。
全ては
自分の枠組みに全てを納めたい
そんな欲求が関係していると感じます。
他にも世間を騒がしたニュースとして
「170cm以下には人権がない」問題もありました。
これも理屈的には全く同じ。
自分が正しくてそれ以外は間違っていると言うこと。
一連のニュースを通して
「自分が正しい、それ以外は間違っている」
それが世界中のテーマとして起こっているのかなと感じます。
そして、このテーマをどう乗り越えようかと思ったときに
直感的にこれだ!と思ったのが
年末の紅白歌合戦で流れていた、
歌い手のまふまふさんの「命に嫌われている」という曲でした。
改めてこの曲を聴いた瞬間に私は
「命そのもの」
をすごく感じたんです。
生きるってどういうことだろう?
いのちってなんだろう?
そんな理屈じゃない魂の震えを感じたんです。
その中でも特に震えた歌詞を抜粋させて頂きますとこの部分。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
価値観もエゴも押し付けて
いつも誰かを殺したい歌を
簡単に電波で流した。
僕らは命に嫌われている。
軽々しく死にたいだとか
軽々しく命を見てる 僕らは命に嫌われている。
この歌詞を聴いたときに僕は
「あぁ・・私はずっと周りの命を軽く見てたんだな」
と心底自分の未熟さを痛感しました。
そしてその後に続く歌詞の最後には
「生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ。」
と。
生きることそれ自体、
それについて心底考えました。
そこで分かったのは、
みんな違うんだと言うこと。
生まれ育った環境や価値観、
はたまた学歴、人種、性別、場所、
みんな違う中で一人一人が必死に生きているんだ。
自分が正しくて相手が間違っている、
だから自分の言う通りに動け!
その思いはそもそも見当違いも甚だしくて、、
みんなそれぞれの思いを胸に必死に生きていて、
「もっと命そのものにを許し、存在を尊重し合うこと」
それが大事だなと、そう感じたんです。
だからこそ
「みんな違ってみんないい」
この価値観を持って生きようと思ったのです。
年末の紅白歌合戦。
170cmの人権問題。
そしてロシア軍のウクライナ侵攻。
この数ヶ月の出来事の中心には
「自分が正しい、相手が間違っている」と言うテーマがあり、
それを乗り越えるために
お知らせ現象として起こった出来事なのではと感じます。
命そのものを許す。
命そのものを尊重し合う。
もちろん、
自分と違う価値観を受け入れるのは
非常に勇気もいるしエネルギーがかかります。
理解するのも一苦労です。
同じ「こんにちは」と言う挨拶1つとっても
そこに含まれる意味は全然違います。
だからこそ、その違いを受け入れ理解する意識から始めてみる。
これからの時代は
「自分一色の世界のために周りを支配するのではなく
十人十色、虹色の世の中を皆でこれから作っていきなさい」
と言うのが
今この瞬間にある大きな流れからのメッセージなのではないかと感じます。
ありがとうございました。
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